九谷ダムの竣工から1年余り。時々足を運ぶ事がありますが、今は静かなただずまいです。本体工事の建設が始まる頃は、山中でも建設反対派vs賛成派に別れ、侃々諤々の議論が巻き起こっていました。当時、ときどき顔を出した喫茶店には建設に反対する進歩的な人々が、コンクリートダムに対し、厳しい意見を述べていました。ちょうど田中康夫氏が新長野県知事になった頃です。
「
脱ダム宣言は素晴らしいことだ。国も速やかに受け入れるべきだろう。あんた、どう思う?」
「は?」 突然振られ、「といわれても、もう半世紀以上の話ですし、というか、それ受け入れたため終戦になったのでは・・」
みんなポカンとした顔をしていたのですが、そのうちの一人がやおら
「あんた、それ
ポツダム宣言のことじゃないのか?」
なんの話をしていたのか、聞いていなかったものですから、これは振る方が悪いのです。でも、以後九谷ダム竣工に至るまで、この問題に意見を求められる事はただの一度もありませんでした。
※画像は北國年鑑(北国毎日新聞社刊)1947年版より