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2008年 09月 19日
北國文華 2008年秋号にH.Y氏の寄稿がありました。九谷焼と後藤才次郎の系譜に触れ、古九谷発祥の起源を邪馬台国論争になぞらえています。邪馬台国、すなわち古代日本王朝の起源をめぐり、北九州説と近畿説で大論争が展開されたのは記憶に新しいところです。でも、実際はこの加賀、というより正確には「山中」に存在したのです。というと、「また、たわごとが始まった」と一蹴されるのは火を見るより明らかなので、ずっと沈黙してました。ところが、最近ぜんぜん別の分野から、私の説を裏付ける証拠がでてきました。そのソースがなんと、NASA、すなわちアポロを月に送り届けたアメリカ航空宇宙局なのです。
日本の古代史で信憑性があるのは中国の魏志倭人伝ぐらいですが、日本に触れた記述はわずか。あとは記紀神話の世界から類推するほかはありません。要するに、定説として確認されているのは、ほぼ以下の3点です。 1) 3世紀、日本のどこかに邪馬台国という国があり、卑弥呼と呼ばれる女帝がいた。 2) 古事記にある天照大神は卑弥呼を指し、天の岩戸籠りは皆既日食のことだろう。 3) 日本書紀もフィクションが多いが、継体帝即位を機に史実が正確になる。 史実を検証するのにうってつけなのが、天文現象です。中でも皆既日食は極めてまれな現象ながら、場所と時刻を正確に特定できるため、史料の信憑性に大変役立ちます。私は友人のASTRO_CALENDAR 氏に「3世紀に石川県で皆既日食が起こらなかったか」と尋ねたことがあります。彼はすぐに「左様。西暦248年と同273年。わずか25年の間隔で2回も起こっている。しかし、なんであんたがそんなこと知ってるんだ?」 な、なんと西暦248年は卑弥呼の没年ではありませんか。私は興奮を抑えることができず、次の質問をしました。 「そのとき、近畿、九州で皆既日食は見られたか」 「見られない」と、彼は断言しました。 皆既日食が特定の地点で見られるのは、ほぼ360年に1度。事実、金沢・加賀市では寛保2年5月1日(1742年5月23日)を最後に、次回は353年後の2361年まで待たねばなりません。この間実に600年以上。これを見ても、皆既日食がいかに稀有な現象かが分かるでしょう。つまり、邪馬台国時代の日食は、まさに石川県加賀市山中温泉で起こった日食を指すのであって、あとは全部伝聞、ないし脚色、あるいは捏造なのです。 ちなみに、山中という固有名詞は「山の中」と言う意味ではありません。「ヤマトの中心」という意味です。日本の国土を大雑把に、関東、関西と二分しますが。ここでいう「関」は風谷町に設けられた関所のことです。継体天皇の出自である福井県三国町は、その当時山中国の領土でした。そもそも三つの国というのが、関東、関西、そして、この山中をさしたのですから。 当時、山中では天文学が発達し、いち早く日食の予報も出されていました。継体天皇は即位後、山中から近畿に首都機能移転、いわゆる遷都構想を打出したものの、一部の激しい抵抗にあいました。そこで、「私に逆らうのなら、この世界を闇にする」と予言したのが522年6月10日の皆既日食でした。この日食はなんと九州から近畿、北陸、果ては東京まで縦断する、おそらく1万年に一度あるかないか、という凄い現象だったのです。継体帝の予言が的中したことで、日本国民は恐れおののき、新都建設から大和政権の確立につながったのです。 ※次回、加賀・金沢市で起こる日食をしらみつぶしに再調査したところ、2631年3月8日の日食が見つかったので訂正。
by binbokuji
| 2008-09-19 02:28
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